酒と肴とモノノフと。

モノノフたる者、常に心に酒と刃を持っていたい。

父と母の思い出はたくさんあるけど、もう増えることはないんだなぁ。というか、どんどん忘れていく。よし、忘れるまでは覚えてる!

父が亡くなって四十九日が過ぎました。
特に法要はしていません。
献杯だけで。
お父さん、ごめん。

せっかくだから、父の思い出でも。
子供の頃とかよく遊んでもらいましたね。
自分も親になるとわかりますが、なかなか大変だったろうなぁ。
仕事終わって帰ってきてから子供と戦わなきゃいけないんだから。

しょっちゅうってわけではなかったですが、仕事終わりでそのまま酒飲みに行っちゃう事もあって。
昔は携帯電話なんてなかったですから、20:00くらいになっても帰ってこないと我が家は暗ーい雰囲気になるわけです。
何しろ、母の機嫌が悪くなりますからね。
そして、家にあるインスタントラーメンが隠されるという。
昔、酔っぱらってボヤ騒ぎをおこしたらしく、それ以来隠されるようになったとの事。
不思議に火曜日が多かったイメージなのは何でだろう?
ぴったしカンカンは割と暗いイメージ。

父は冬の間は除雪の仕事をやってたんですが、基本的に除雪って夜から朝にかけてやるんですね。
なので、俺が学校に行く時に帰っているかいないか、って感じ。
中学一年生の時だったか。
朝起きて居間に行ったら、父が布団で辛そうに寝てました。
あれ?何でもういるんだろう?とはちょっと思いました。

母:お父さん、車にはねられたんだよ。
俺:ふーん。

お父さん、ごめんなさい。
寝起きで頭が回ってなかっただけで、悪気はなかったんです。
ちなみに姉は大爆笑したらしいです。
でも、考えてみると何で家にいたんですかね?
かなり飛ばされたらしいんですけど。
その後、何ヶ月か入院してたし。

俺が中学三年生になった時から母が入退院を繰り返す事になって。
大体3ヶ月周期くらいで、1年の半分はいない感じ。
ご飯の準備は父がしてくれました。
中学の時は弁当だったので毎日弁当を作ってくれてました。
高校は学食でしたけど。
母の入院中は飲みに行く回数が増えるわけです。
特に俺が高校生になってからは姉も家を出ていたので、気兼ねすることなく飲みに行けた事でしょう。
夜中に帰ってきて起こされて土産の寿司を食わされるという。
多少は悪いと思っていたのか、口止めだったのかは定かではありませんでしたが。

飲食物に関しては、家に有る物は好きに食え、という主義。
自分が食べたくて買った物でも食べたい物は遠慮しないで食べなさい。
「有る物だったら何でも食え。無い物は食えないんだから。」
これを、じじいイズム(本当は、じじいの部分に父の名前が入ります)と我が家では呼んでいます。
当然、俺がじじいイズムの後継者です。

最近は帰省すると父にお小遣いを少しあげてたんですが、その場でポチ袋に1万円を入れて孫(俺の息子)にあげてたのには笑ったなぁ。
あげたお金をどう使っても良いんだけどさ。

とりあえず、これくらいで許してやる。

お父さん、もう一緒にお酒が飲めないと思うと寂しいよ。